品川 城南小学校 [住む]
東京品川 城南小学校
品川区で二番目に開校、百三十年を超える歴史を誇る。
<校名額が山岡鉄舟> 品川区Webより。
現在玄関ロビーに飾られていて、次のような解説文が掲示されている。
山岡鉄舟は剣・禅・書に長けていて、剣は一刀正伝無刀流の開祖であった。書も巧みで一楽斎と号し、人に揮毫を頼まれれば断ることなく書き、生涯に百万枚揮毫したとも言われている。したがって鉄舟の書は各地で散見される。城南小学校の校名額もその一枚であろう。
山岡鉄舟は、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の会談に立会った。明治新政府になってからも静岡藩権大参事、茨城県参事など重職を歴任し、一八七二年(明治五年)からは侍従として明治天皇に仕えた。前回の木村屋のあんぱんの逸話はその時の出来事である
<沿革>
明治7年:常行寺に開校。第一大学区第二中学区八番公立小学校「城南小学校」と称する
昭和10年 12月16日 城南小学校校歌の制定
12年 プールの設置
22年 4月 東京都品川区立城南小学校と校名改称
23年 4月 東京都品川区立城南中学校を併置
49年 12月 開校100周年式典挙行
平成 2年 3月 万年塀・防球ネット完成
6年 10月 観察池完成
12月 開校記念室完成
8月 校舎耐震工事
9月 パソコン室設置
11月 体育館改修工事
15年 2月 中華民国(台湾)文部大臣他8名、随行記者団15名「英語教育」視察
品川区で二番目に開校、百三十年を超える歴史を誇る。
<校名額が山岡鉄舟> 品川区Webより。
現在玄関ロビーに飾られていて、次のような解説文が掲示されている。
「この額は、山岡鉄舟が書いたものです。(中略)城南小学校の校友会の理事長であった利田三郎さんは、この土地の名士でもあり船宿を営み、山岡鉄舟とも親しい間柄でした。こんなことから、利田さんが鉄舟にたのんで、城南小学校のためにこの額を書いてもらったといわれています。」
山岡鉄舟は剣・禅・書に長けていて、剣は一刀正伝無刀流の開祖であった。書も巧みで一楽斎と号し、人に揮毫を頼まれれば断ることなく書き、生涯に百万枚揮毫したとも言われている。したがって鉄舟の書は各地で散見される。城南小学校の校名額もその一枚であろう。
山岡鉄舟は、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の会談に立会った。明治新政府になってからも静岡藩権大参事、茨城県参事など重職を歴任し、一八七二年(明治五年)からは侍従として明治天皇に仕えた。前回の木村屋のあんぱんの逸話はその時の出来事である
<沿革>
明治7年:常行寺に開校。第一大学区第二中学区八番公立小学校「城南小学校」と称する
昭和10年 12月16日 城南小学校校歌の制定
12年 プールの設置
22年 4月 東京都品川区立城南小学校と校名改称
23年 4月 東京都品川区立城南中学校を併置
49年 12月 開校100周年式典挙行
平成 2年 3月 万年塀・防球ネット完成
6年 10月 観察池完成
12月 開校記念室完成
8月 校舎耐震工事
9月 パソコン室設置
11月 体育館改修工事
15年 2月 中華民国(台湾)文部大臣他8名、随行記者団15名「英語教育」視察
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